著者
木谷 吉克
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 = Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.17-28, 2014-03-05

「飼いならす」ことは、ある人間、ある事物を特別なものにする。同様に「儀礼」は、ある日、ある時間を特別なものにする。「飼いならす」ことや「儀礼」によって特別なものとなったものを軸として、人は豊かな心の世界を築くことができるし、それによって生きる意味や方向性を見つけることができる。この作品中にしばしば出てくる子どもとおとなの対立も、「飼いならす」という観点から再解釈できる。つまり、この対立は、飼いならすことに生きている子どもと、飼いならすこととは無縁な生活をしているおとなという対立として理解できる。おとなたちは自分たちが何を探しているのかもわからないまま動きまわっている。だが、問題を解く鍵は「飼いならす」ということにある。おとなたちはだれかを、また何かを飼いならせば、自分たちの探しているものを見つけることができるのである。この作品では、キツネは作者の代弁者であると言える。そのキツネは、重要なことを王子さまに伝えるとき、きまって「これはあまりにも忘れられていることだが」とか、「それは簡単なことなのだ」といった前置きを付ける。これは作者自身の前置きであり、キツネの言うさまざまな真実は、実は忘れられているだけで、本当はだれもが知っているし、だれもが経験していることである、と作者サン=テグジュペリは言いたいのである。
著者
古川 典代
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 = Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-16, 2014-03-05

「文化は経済力の強いほうから弱いほうへと流れていく」という。日中間の音楽のカバー情況からしても、過去には日本の流行曲が数年後に中国語(北京語、広東語、台湾語)にカバーされることが多かった。ところが昨今は、カバーソングに時差が無くなった。日本で流行っている曲がネットの活用により同時期に中華圏でも中国語で流れるようになった。さらに近年では、中国語曲の日本語カバーも散見されるようになり、一方通行だった文化の流動が、時差なく双方向となった。これは両国にとってより豊かな音楽シーンを味わえるという意味で福音である。2007 年から始まった「全日本青少年中国語カラオケ大会」および、2010 年から始まった「西日本地区中国語歌唱コンクール」においては、出場者の選曲がこれまでに多かったカバーソングから、現地の若者に人気の楽曲へと変遷し、同時代同時並行で日本人の若者にも歌われるようになった。かくも情報がワールドワイドに流れ、中国語の歌が溢れるようになった現況においては「中国語で一曲!」はもはや日常のワンシーンと言える。本稿では日中カバーソングの歴史と変遷、歌による語学教育の効用および歌をテーマとした語学学習テキストの日中比較を論じる。
著者
木村 勲
出版者
神戸松蔭女子学院大学学術研究会
雑誌
神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 = Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University : JOL (ISSN:21863830)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-20, 2014-03-05

樋口一葉は近代日本における最初の職業的女性作家である。しかし、小説としては源氏物語や西鶴など伝統文芸の系譜のなかにあり、もっぱら古文で書いたということもあって旧派とみなされてきた。実際、代表作の『たけくらべ』(一八九五年)や『にごりえ』(同)は、遊郭や銘酒屋街という前近代的な場所における人間模様を扱ったもので、一見モダンを感じさせるものではない。とりわけ男女の凄惨な死で唐突に終わる『にごりえ』の評価は、代表作とされながら分かれるところもあった。ストーリー的に無理があるのだが、作品の魅力は疑いなく、すでに古典の地位を得ている。本稿は『にごりえ』の三年前に内田魯庵により邦訳された『罪と罰』が一葉に与えたインパクトを明らかにする。孤独地獄のラスコーリニコフに重なる虚無的なヒロインお力の検証を通じ、古い言語表現のなかに息づく一葉の先導的なモダニズムを検証する。