- 著者
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木谷 吉克
- 出版者
- 神戸松蔭女子学院大学学術研究会
- 雑誌
- 神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 = Journal of the Faculty of Letters, Kobe Shoin Women's University : JOL (ISSN:21863830)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.17-28, 2014-03-05
「飼いならす」ことは、ある人間、ある事物を特別なものにする。同様に「儀礼」は、ある日、ある時間を特別なものにする。「飼いならす」ことや「儀礼」によって特別なものとなったものを軸として、人は豊かな心の世界を築くことができるし、それによって生きる意味や方向性を見つけることができる。この作品中にしばしば出てくる子どもとおとなの対立も、「飼いならす」という観点から再解釈できる。つまり、この対立は、飼いならすことに生きている子どもと、飼いならすこととは無縁な生活をしているおとなという対立として理解できる。おとなたちは自分たちが何を探しているのかもわからないまま動きまわっている。だが、問題を解く鍵は「飼いならす」ということにある。おとなたちはだれかを、また何かを飼いならせば、自分たちの探しているものを見つけることができるのである。この作品では、キツネは作者の代弁者であると言える。そのキツネは、重要なことを王子さまに伝えるとき、きまって「これはあまりにも忘れられていることだが」とか、「それは簡単なことなのだ」といった前置きを付ける。これは作者自身の前置きであり、キツネの言うさまざまな真実は、実は忘れられているだけで、本当はだれもが知っているし、だれもが経験していることである、と作者サン=テグジュペリは言いたいのである。